「世の終り」

"世の終りのラッパ鳴りわたるとき、世は常世の朝となり、救われし者は、よもの隅よりすべて主のもとによばれん。そのときわが名も、そのときわが名も、そのときわが名も、呼ばれなば必ずあらん。

                               聖歌634番1節

  みなさんは「世の終り」などということばに表面的な関心をあらわすことはあまりなさいませんでしょう。


 しかし、私たち人間のすべての心の中には、いつも「終り」ということばが潜んでいるのではないでしょうか。書店に入って目につくことは、いわゆる世の終りのことについて書いている本の多いことです。私は驚きました。そして例の「ノストラダムスの大予言」をはじめ、多くのそのような書物は、ベスト・セラークラスだと言われます。それらの多くのものが、聖書からの勝手な引用と、身勝手な解釈であることにもまた驚かされます。

 しかし、実は聖書こそ世の終りについての、今から何千年も前から世の終りについて預言している本家本元なのです。ですから、私はぜひ、みなさんに、直接聖書から、世の終りについて読んでいただきたいと思うのです。ただ象徴的な表現などもありますので、教会でお聞きくださることと、正しい解説書をお読みくださるようにおすすめします。

 聖書で教える「世の終り」とは、現代のような悪や罪が力を持って人間を振り廻している、この時代の終りを意味します。善と悪ははっきり区別せられ、悪と悪人は審かれます。しかし、このことと関係して少なくとも二つの大切なことがあります。

 一つは、世の終りの時の神の完全なさばきは、現在の私たちの生き方によって決まるということです。
 それは、今、私たちは神が与えてくださっている「イエス・キリストによる救い」をいただくということです。

 ちょうど避雷針の下にあるものが、恐しい落雷から守られるように、イエス、キリストの救いにはいっている者は何の恐れもない、というすばらしい福音があることです。
 

 もう一つの大切なことと言いますのは、聖書の述べている結果、すなわち、世の終りとは、真のみ国、すなわち神のみ国の完全な実現という、すばらしい希望の成就の時でもある、ということです。

 もし、完全ないのちのみ国が永遠にないならば-また、もし、全き喜び、愛、平和、いのちのみ国が本当にないならば、一体、人類は、そして、あなたや私は-何のために生きているのでしょうか。また、どこへ行こうとしているのでしょうか。

 この問いに対する希望に満ちた明るい真の光に満ちた答えは、神のみことば、神の啓示の書である聖書が与えてくれています。

 あなたもぜひ、聖書をお一読みください。

JAPAN LUTHERAN BRETHREN CHURCH

日本ルーテル同胞教団