「神の愛」
「神はひとり子を賜うほどに世人を愛したもう、神は愛なり、ああ、神は愛なり、汚れはてしわれさえ愛したもう神は愛なり」
聖歌392番の1節
今月は「神の愛」についてお話いたします。
旧約聖書の雅歌のことば
「愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし人が、愛を得ようとして自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。」
なんとすばらしいことばではないでしょうか。ここには、第一に人の愛の強さということが見られますね。本当の愛は強いのですね。
この雅歌を書いた人は、この強さを文学的な表現で描いているわけですが、まず「死のように強く」、と述べています。「死のように強い」ということばは、非常に興味深い表現だとお思いになりませんでしょうか。これは、一体どんな強さなのでしょうか。
このことを考えますと、私は一つのことをまず告白しなければならないと思うのです。それは、私のように愛の足りない冷たい人間は、美しい表現を解き明かすのには不適当に違いない………ということです。そのことをおことわりした上で、あえて述べさせていただくわけですが……。
まず一つは、死は弱っている者にも、強いものにも、拒みえない力をもって迫ってくるということです。本当の愛は、どんな人々も拒みえない力として迫って来るという強さと魅力を持っているということですね。
もう一つ、別の面からも考えてみますと、本当の愛は、その愛する人のためには、死んでもいいというほど強いものだということではないかと思います。「死のように強い」ということばは「死ほどに強い」とも訳すことができることばなんですね。
また、次の「ねたみは、よみのように激しく、すさまじい炎である」という表現も「大洪水もその愛を消すことはできない一」という表現も、本当の愛の強さを描いているわけです。一体、そのような愛をだれが持っているでしょうか。間違いなく、このような愛をもって、あなたを愛してくださっている方がおられます。それは、イエス・キリストです。
イエス・キリストの人間への愛は、全く最高の……いや、完全な愛です。あの十字架の上で、私たちのみにくい罪のために身代りとなってさばかれ、死なれました。「愛は、死のように強い」とは、まさにイエス・キリストの愛です。この愛をお知りになってください。
あなたの人生は必ず変わります。