「愛の涙」

「彼らは、イエスに言った。「主よ、来てごらんください。」イエスは涙を流された。そこで、ユダヤ人たちは言った。

「ご覧なさい。主はどんなに彼らを愛しておられたことか。」

                   ヨハネの福音書11章34-36節

 さて今回は「愛の涙」についてご一諸にお考えいただきたいと思います。

 「愛の涙」とは、他人のために流される涙であります。私たち自身は、心の底まで見たときに、本当に他人の利益となるために涙を流せるかどうか、私には分かりません。自分だけのことを考えますと、とても自分自身の中には、他人を愛するゆえに、その人のために涙する・・・しかも、何の不純な動機もなくその人を愛するということは、とてもできそうもありません。そうしたい、そうありたいとは願いますが、自分自身の力ではとてもできそうもありません。

 しかし、イエス・キリストは、愛の涙を流されたお方でした。上にご紹介しました聖書の箇所をもう一度ごらんください。これは、どんな時のことかと言いますと、ラザロという1人の男の人、しかもイエス様はラザロとこの姉妹たちと親しかったのですが、このラザロが病気で死んでしまったときのことでした。

 こう申しあげますと、自分の親しい人が死んだら涙を流して、悲しむのはあたりまえではないかとおっしゃられるでしょう。たしかにその通りなのです。
 

 しかし、イエスさまは、ただ悲しんでもう二度と会えない、人生とはなんと無情でなんとむなしいものか・・・と自分もやがて死ぬかもしれないという恐れや不安を持って、やりきれない、いやな悲哀の涙を流されたのではありませんでした。


 イエスさまには死の恐れも人生の無情を悩むこともなかったのです。永遠のいのちの聖なる神のみ子でいらしたのです。イエスさまは、ラザロを純粋に愛して、涙を流されたのでした。そして、その聖なるお方が愛の涙と共に、このラザロを生きかえらせるという奇跡的なわざをされたのです。


 この物語は、新約聖書のヨハネの福音書第11章にくわしく記されています。イエス・キリストというお方は、このようなお方でいらっしゃるのです。そして、このお方を信仰してゆく時に、私たちのような者にも愛の涙を流せるような人生へと変えられてゆくのです。
 

 あなたも、このイエス・キリストの愛の物語をお読みになってみませんか。

JAPAN LUTHERAN BRETHREN CHURCH

日本ルーテル同胞教団